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2015年03月31日

画面に突然現れる

時々、テレビ番組で『昔のCM特集』が組まれることがある。
かつてのCM 映像が流れると、つい懐かしく思ったり、ふと、CM ソングを一緒になって
口ずさんでいる自分に気づいたりするnu skin 如新
思い出されてくる古いコマーシャルソングは、「レナウン娘が~♪」
「ミツワ石鹸♪」「どこま~でも行こう♪」「クルマはガソリンで走るんです」
など、どういう訳か小林亜星の作曲した曲が多い気がする。
CM が放映されていた時代の思い出が蘇って来たり、その頃の匂いを感じたりする。
そんな時代を知らない世代にとっても、
モノクロの映像が流れたりするだけで、カルチャーショックのようなものを味わったり、
味わってもいないものに郷愁めいたものを共有する感覚になるようだ。
だけども、このテレビCM も大きく変わろうとしている康泰

アメリカでの調査によると、ディスプレー広告費の50%以上が、テレビではなく、
"SNS" すなわち、ソーシャルメディアに費やされているという。
今やフェイスブックやグーグルが双璧となり、さらに、その率が増加傾向にある。
SNS と言えば、
YouTubeやニコニコ動画をみる前などに流れる「5秒広告」というものがある。
目的の画像検索をして、そのディスプレーを見ると、
「5秒後からスキップできます」という表示とともに、いきなり動画広告が始まる。
タダで動画を見るためには、それぐらいの代償は払わニャなるまいとして、
少なくとも、5秒は見ることになる。
惰性が働いたり、その5秒の間の動画に興味が湧くと、
そのまま1分間ほどの動画を見ることになる。
広告の形態も大きく変化したものだと思う。

これらの広告は、これから何十年か経って見たとしても如新香港
かつてのテレビCM を見るような熱狂を孕んだ懐かしさはこみ上げて来ないだろう。

一昨年に亡くなった「広告批評」の天野祐吉の言葉に
「広告の本質は、生きづらさをコントロールする癒しの一形式である」
というのがあった。
すなわち「広告は癒し」ということらしい。
一世を風靡したテレビCMには、そんな「癒し」の世界が広がっていたように思える曾璧山中學

画面に突然現れる「スポット広告」や「5秒広告」は、
「癒し」とは、ほど遠い気がする?  

Posted by 黙って歩く at 15:52Comments(0)

2015年03月30日

前田くんはいつも

サインは、さよならとまたね


前田くんはピッチャーで
ぼくはキャッチャー
サインはcompass college 認受性
ストレートとカーブしかなかったけれど
あの小学校も中学校も
いまはもうない

前田くんはいつも
甘いパンの匂いがした
彼の家がパン屋だったから
だがベーカリーマエダも
いまはもうないcompass college 啟示書院

最後のサインは
さよならだった
さよならだけでは足りなくて
もういちど香港酒店管理學院
さよならと言った
それでも足りなくて
またねと言った
あれから春はいくども来たけれど
またねは来なかった

いつもの朝がある
さよならともまたねとも言わないで
朝だけが朝としてやってくる
冷蔵庫のパンとマーガリンには賞味期限がある
前田くんが焼いたパンではないけれど
食卓にはパンとヨーグルトとサラダ
左の掌をポンポンとたたく
今朝のサインは航空課程
さよならとまたねでいく  

Posted by 黙って歩く at 18:48Comments(0)

2015年03月16日

横に立ち

そんな時間がきた
悲しみ色が
何色であるのか
わからなくなるための夜

そんな夜を越えていくたびに
涙は涸れるものかと思ったが
そうではないことを知った
星の見える見えないcompass college 認受性
千回もの夜が 過ぎ去り

新しい夜を数えながら
星の数を数える人の
横に立ちcompass college 啟示書院
今は 黙って黙って
動いていく時を見守る

星の瞬きは
心臓の鼓動によく似ていて
誰かの心の音が香港酒店管理學院
穏やかに 時を打てるように
耳を澄ます

夜空の下に
ひとりぼっちじゃないことを
優しいまなざしで成長桌
星を見上げている人たちが
いることを感じて   

Posted by 黙って歩く at 12:24Comments(0)

2015年03月12日

手塚治虫は

昨年より伝えられていたが、いよいよアップルウォッチ(Apple Watch)が公開され、
発売日も4月24日と決まった。
昨年9月には、およそのことが公開され、満を持しての登場というところだが、
中国ではもうすでに、よく似たコピー商品がすでに店頭に並んでいるという。
今回発売するアップルウォッチ自慢の”デジタルクラウン” と呼ばれる
竜頭型のコントローラーと酷似したものを搭載するなど、
ニセモノが先行する展開となっている。そしておまけにその価格も10分の1ほど。
こうなると黙って見過ごせないところだろう。

「鵜のマネをするカラス」ということわざがあったり、
落語の『時そば』など、マネすることによって
かえって損をすることになるという話しはおなじみのもの。
だけども、ニセモノが本物を出し抜くという話は世の中では稀ではない。

本物を出し抜くことによって世の衆目を浴びる人物になるというストーリーとして、
手塚治虫が描いた意欲作『人間昆虫記』というのがある。
この物語は、一人の普通の女の子が高校を中退し劇団の世界に飛び込む
ところから話が展開していく如新集團
彼女は一女優を目指すのではなく高名な演出家に近づき、その手法をすべて吸収していく。
そして、その演出家をダシ抜き、才能ある若手演出家として注目を浴びる。
演出家の方は世間から干され廃人のようになる。
また、一方で彼女は文才のある友人からすべてを吸収し、
その着想をそっくり得て、一足先に発表し芥川賞を受賞し世の注目を浴びる。
ダシ抜かれた友人は、自殺を遂げることになる如新nuskin 產品
また、ニューヨークのデザイン・アカデミー賞をとるほどの才能豊かな青年のから
デザインのすべての知識を得て、その賞をかっさらってしまう。
この話、次々と起こる事件が息をつかせない。
手塚治虫は、その作品の中で
「昆虫は身を守るために様々ななものに似せる術(すべ)をもっている」
と表現している成長桌
そんな、したたかな十村十枝子という女性が主人公となる作品。
ハードな面とミステリータッチとで描かれている。

ニセモノと言いつつも、いつかそのニセモノが本物を凌駕するということもある。
古典的表現を借りれば康泰自由行
「ゆめゆめ、用心めさざることなけれ」といったところだろうか。  

Posted by 黙って歩く at 15:32Comments(0)

2015年03月11日

店の人に訊ねると

 4年前、母に頼まれてビックカメラ横浜でポータブルラジオを買った。サウンドロックというブランドで780円だった。余りの安さにびっくりした。2か月ほど前、母のホームを訪ねると壁にぶら下げてあった。訊いてみると、もうラジオは聴いていないというので持って帰った。

 それ以来少しずつラジオをきくようになっていった康泰旅遊。まずはNHK第一放送のニュースだ。朝ごはんを作りながらきいていると、テレビニュースより詳しいという感じがした。しばしば専門家が解説をしてくれる。評論家の寺島実郎さんや小説家の幸田真音さんが自宅から電話出演している。一つのテーマを10分近く解説するということはテレビニュースでは稀だ。テレビは映像を見せることが中心で、じっくり話をきかせることが少ない。
(ラジオはなかなか優れたメディアだぞ)

 機嫌よくきいていると、一か月ほど前から時々音が出なくなることが起きはじめた。音量調節回路で部品の劣化が起こっているようだ。千円以下の製品で4年も使っていれば仕方がない如新nuskin 產品。2週間前、ビックカメラ横浜の同じ売り場にラジオを買いに行った。
①もっといい音がすること
②もっとクリアに放送を受信できること
③内蔵メモリーを持っていて録音できること
④タイマーで電源のオン、オフができること
この4つの条件を満たすラジオがないだろうか。

 店の人に訊ねると、2つの製品があると教えてくれた。パナソニック製が1万2千円、ソニー製が2万5千円である。両者の違いは大きさで、パナソニックは大きくて移動はほぼ諦めねばならない。色んな所に持ち歩いて使いたいので、かなり高いと思ったが思い切ってソニーを買うことにした。ポータブルラジオレコーダー、ICZ-R250である。

 帰りの電車の中で、取扱説明書を開いて最初からじっくり読み始めた。帰宅して一時間後、音が出た。縦12二センチ、横21センチ、厚さ6センチのボディに4つのスピーカーがついており、低音気味の実にいい音がでる。

 周波数はボタン一つで選局され、NHKは594キロヘルツ、ピタリで実にクリアに電波を捉える。8ギガバイトの内蔵メモリーを持っていて、最大357時間の録音が可能だ。SDカードを挿入すると993時間録音できると書いてある。タイマーで電源を入れ、眠った後に電源を切れるのは勿論だ。4条件を完璧に満足しており、いいラジオを買えたと本当に嬉しかった電動桌
(沢山の番組を録音することになる。録音した番組から聞きたい番組を探すのが大変なのではなかろうか?ラジオのボタン類を見ているととても番組名を入力できそうにない)
111ページのマニュアルを半分読んでも、録音ファイルの編集方法の説明がないので、番組名の入力はできないのだろう。残念だが仕方がない。

 ラジオレコーダーは録音予約ができる。NHKの人気番組「ラジオ深夜便」の早朝4時から5時までの一時間を毎日録音することに設定した。深夜便では、かってNHKの看板美人アナだった森田美由紀さんなど、声のすばらしい実力者が交代でアンカーを務めている。楽しくて癒されるプログラムだ。ある日「萩本欽一の人間塾」という番組が録音されていた。欽ちゃんが俳優の中尾彬と対談している。
「中尾さんはかつおの刺身はどんな食べ方をしてるの?俺は生姜醤油だけど」
「それだめです。私は醤油と和辛子です。昔、江戸時代の文献を調べていて知りました」
食べ物をテーマに軽妙洒脱な会話が弾み、実におもしろい。この録音は永久保存だ。

 NHK第二放送、日曜日夜9時からの文化講演会は、女優の佐久間良子さんや経済評論家の内橋克人さんなどの著名人が一時間たっぷり話をきかせてくれる。これも毎週録画予約だ。全部で20の番組を録音予約できる。このラジオはすごい威力である。

 私はテレビ番組をパソコンで毎週10本ほど録画予約している。NHKBSの「団塊スタイル」で心療内科医、海原純子さんの特集があった。
「自分の持っている素材は、工夫して生きている間に全部使い切りたい」
と海原さんは言う。優しく分かり易い語り口で興味がつきない。これは音声だけを聴いていても十分楽しめるので、パソコンからラジオレコーダーに録音した。

 CDからお気に入りのボッケリーニのチェロソナタや夏川りみの「とことわのうた」などの音楽も録音しており、すでに録音ファイルは40本を超えた。ファイルには日付、時刻と放送局名が自動的に付けられるculturelle 香港

 ラジオを買って10日ほど経ち、マニュアルの78ページを開いた。
「パソコンにつないで使う」
という見出しである。梱包箱に入っていたUSBケーブルでラジオとパソコンを繋いだ。パソコンを見ると、ラジオのファイルが認識されているではないか。
(これだ!)
恐る恐る、ファイルに「団塊スタイル 診療内科医・海原純子 150227」と入力する。ラジオをつけ、録音済ファイルを開くと、見事にファイル名がついていた!!ファイル名を編集できるなら鬼に金棒だ。すべてのファイルに好みの名前をつけた。ラジオレコーダーがテレビ、CD、ラジオを統合するメディアプラットフォームになりそうだ。

 夜はさまざまな録音番組を楽しみながら眠りに入る。寝入った後で電源が落ちる。朝六時、NHKのニュースで目が覚める。ラジオレコーダーのお蔭で、愉しい上に教養が高まり、生活の質が格段に向上している。前期高齢期を迎え最高のパートナーに巡り合えた。この縁に感謝しながら、ゆたかなラジオライフを送りたい。  

Posted by 黙って歩く at 12:40Comments(0)

2015年03月09日

もともとは

最近、チェコのアニメや映画が人気を呼んでいる。
意外にチェコ映画の歴史は古く19世紀から脈々と作り続け、
戦後、社会主義国に転じても1960年代にはチェコ・ヌーヴェルヴァーグと
呼ばれる映画が全盛期を迎えたり独特の発展をしてきた。
こういった時代のチェコ映画が見直され康泰自由行、今、世界で話題を呼んでいる。

私にとってチェコで興味をひかれるのは、
”ラテルナ・マギカ”と呼ばれる 演劇と映画をあわせたような連鎖劇。
これは、かなり変わっていて、舞台芝居とスクリーン映像が
密接な関連をもちながら進行していく独特なもの。
この”ラテルナ・マギカ”とは、"magic lantern(魔法の幻灯)" の意味で、
複雑に絡み合うこのような映劇。これは、この国にしかない。
スクリーンで演じられていたものが舞台に移ったり、
またまた、スクリーン映像に戻ったりする技法を見ると、
舞台で演じられる『ピーター・パン』を思い起こしてしまった康泰領隊

『ピーター・パン』は、何度か映画化がされているが、
もともとは、全三幕の芝居として1904年のクリスマスに初演されたもの。
登場人物は、ビーター・パンにティンカーベル、ウェンディ、フック船長、
そしてフック船長の手首と目覚まし時計を呑み込んだワニなどがいる。
目覚まし時計のチクタクという音を聞き慌てふためくフック船長などは、
コメディタッチで面白い。
ただ、一カ所シリアスな場面が出てくる。
それは、ピーターが飲むはずだった毒をティンカー・ベルが飲んで死んでいくシーンがある。

ここで、舞台上の進行がとまり、ビーター・パンが観客に向かって
熱く語りかけるシーンが出てくる升降桌
「皆さんは、妖精を信じますか?妖精を信じる人は、ティンカー・ベルを応援してください。
そうすれば、ティンカー・ベルは、死なずにきっと良くなります。
どうですか。皆さんは、妖精を信じますか~ッ?」
と語りかけると、見ている観客たちが、熱い声援をティンカー・ベルに送り、
ティンカー・ベルが回復する。
このように舞台が進行を一時止めて、観客と対話を試みることによって、
観客と舞台とが一つになる効果を生み出すことになる。
この手法によって、舞台と観客が一体化する。
良く言えば立体的電動桌
どこか、一脈通じるようでもある”ラテルナ・マギカ”と。  

Posted by 黙って歩く at 12:34Comments(0)

2015年03月05日

単刀直入に言うが

次第に春に近づいてきているみたいだけど、
神戸はまだまだ寒い。


けれどニューヨークにいるスタッフとかに聞いてみると
雪かきをしないといけないくらいらしいので、決して
贅沢は言えないというところか植髮
升降桌・・・


今日は、日本人の英語学習者にとかく欠けがちなことについて
1つお話ししておきたいと思う。


単刀直入に言うが、
それは「ユーモア」「笑い」だ。


歴史的な背景?もあるのかもしれないが、英検1級レベルとか、
英語力が高くなればなるほど、非常に「クソマジメ」な人が多い。
そしてそういう人はその真面目さがゆえに、発想や感情が
縛られてしまい、ある程度以上の上達がストップしてしまうことが
多かったりするのだ升降桌


私自身若い頃に、某有名通訳者アカデミーのクラスで少し
勉強したことがあるのだけど、そのクラスにいた人がそろいもそろって
みんな石のようなカタブツばかりで驚かされたのを今も覚えている。
まったく笑うことなし、冗談にも反応することなし。
(私の笑かすセンスが低かったのでは?ということも考えられ
 それ自体は否定しないが(笑)それにしてもあまりにも一般人と
 比べて堅苦しかった)


実際に外国で暮らしてみればわかるが、英語ネイティブの世界は
ユーモアや笑かし、茶目っ気のあるおふざけで満ち満ちている。
それに会話力というものが人間の感情の発露である以上、決して
真面目な一面だけでなく、笑いや若干の不真面目さを本質的に持っている
ことは間違いのない事実だ。


真面目に勉強することは電動桌、もちろん大事だ。


しかし、マジメだけでやっていって、
「笑わない」英語学習になってしまっては、絶対にいけない。


あなたの英語学習に、ユーモアはあるだろうか?
あなたは学びながら、笑えているだろうか?


それを時間のあるときにでも、考えてみてほしい。
  

Posted by 黙って歩く at 16:23Comments(0)

2015年03月05日

晴れていればもう

 今日は植物の写真は撮らないぞと決めて、散歩をしながらそれ以外に春を感じるものを探したのに、結局スマホでこの一枚しか撮らなかった。
 
 晴れていればもう、春だ曾璧山中學
 
 上の子が幼稚園に入ってから下の子が中学を卒業するくらいまで、春はとても憂鬱な季節だった。新学期はあれこれ書類を書かなければならないし、保護者会もあるし、役員決めは必ずギスギスするし、役員になればなったでその上の役員会があり、ああ、家庭訪問もあるなあ……とか思うと、「春、ウキウキ!」とはならなかった。と、書きながらも曾璧山中學、子どもの成長のことを思い出すとそれは楽しい春だったのだけど。

「母親」の集まる場が苦手だった……ということをいろいろ思い出してしまうけれど、結局、わたしが今思っているのは「じぶんの在り方でよかった」ということだ。でもそれは今だから言えるわけで、たぶん、わたしとは違う考え方の人もそれぞれが、そう思っているだろうと想像できる。例えば母親同士の交友関係を何より楽しい思い出として持っている人もいる曾璧山中學。それはそれ。

 とにかく、幼稚園や学校に行ったらじぶんの子の様子をちゃんと見るっていうのが大切な仕事。子は子で勝手に友だちを作って楽しくやっていくから大丈夫。ほんの数年しか関わらないその場を、目立つ人とは比べずに自分らしく楽しんだ方がいいよと、過去に戻れるならわたしの背中をどんと叩いてあげたい曾璧山中學。ああ、それから、小さく折り畳んだ手紙をくれる◯◯ちゃんのママとは距離を置いておいた方がいいよってことも教えてあげたいけど、まあ、その人も一年後には引っ越しちゃうから大丈夫なんだ。   

Posted by 黙って歩く at 11:01Comments(0)

2015年02月12日

新しい小学校には

 今日の変わり咲きゼラニューム・エンゼルブーケ。バラに似て来た。

 自宅マンションのすぐそばに学校がある。夏休みに入ってからは一日中、耐震工事をしている。朝の8時頃からドリルの音がし始めて、夕方まで蝉に負けじとガガガガ賑やかだ。あんまり耳を傾けて聞いていると、自分の手の平もびりびりしびれてくるような気がする。

 校舎といえば、真新しい新築の校舎に通ったことがある成長桌
 児童数が増えすぎた為に分割され、私は新しく建った小学校の方に移ったのだ。4年生の時だった。
 
 当たり前だけど、何もかもが新品だった。廊下や階段はもちろん、横の壁がまっさらで綺麗なのが気持ちよかった。だれもまだ、手をつけたり蹴ったりしていない壁。黒板も机も掃除用具も新品。広い校舎には未知の部分がたくさんあって、とても全部は回りきれないような気さえした。校庭の砂にはまだ形のある貝殻がたくさん混じっていた電腦椅
 
 ひとつ今でも不思議なのは、最初に校舎を案内してもらった時に見た和室を、その後一度も見なかったことだ。
 廊下の下方にある窓から覗くと、下の方に和室があった。つまり、和室の天井近くにある窓から覗いているような格好だった。明るい和室だった。
 この和室にはどこから入るのだろうと思ったのだけれど電動桌、その後3年間、分からずじまいだった。もっとも、「どこにあるのだろう」とぼんやり思う程度で積極的に探してはいないし、「学校案内図」を見てみようなんてことも思いつかなかった。
 そして今思えば、その全てが夢だったような気さえするのだけれど……。
 
 新しい小学校には、校歌も新しくできた。「校歌発表会」は5月4日で香港如新、それはそのころ憧れていた男の子の誕生日でもあった。一度家に帰ってから公園に集まって、その子も含めた数人で漫画を読んだり缶蹴りをした。
 うーん、案外おぼえているものだなぁ。
    

Posted by 黙って歩く at 17:51Comments(0)

2015年02月05日

このA・ビアスは

芥川龍之介の愛読書の一つにA・ビアスが書いた『悪魔の辞典』がある。
この書を一言でいえば「風刺辞典」。
様々な「言葉」を風刺の観点から捉え直しcellmax科妍美肌再生中心好唔好、辞書形式にしたものとも言えるだろう。
この書は芥川龍之介によって広く知られることになった。
いわば、彼は『悪魔の辞典』の伝道師の役割をしたことになる。
彼の辛口の表現が、芥川にしっくり落ちたとも言える。

このA・ビアスは、アメリカ南北戦争の時代から、
大いなる実験と言われた禁酒法時代に至るまでの不安定期に
ジャーナリストとして過ごした人物。
大陸横断鉄道に関する密約を暴いたりするなど、辣腕だったとも言われる。
「ニガヨモギと酸をインクの代わりに用いた」という表現がなされるほど、
その筆致は辛辣だったと言えそうだ。

彼の少年期を探ると「やっぱり!」と思わせるエピソードがある。
アメリカの敬虔なクリスチャン家庭に生まれたが、
10人の兄弟の下の方の生まれで、親に愛されて育ったということではないようだ。
彼の言葉、「人間の心は一定量の愛情しか持てないcellmax科妍美肌再生中心好唔好
対象の数が多いほど一人が受ける愛情はそれだけ少なくなる」
こんな言葉から、親の愛情に対して懐疑的なところがあったと推測できる。

この『悪魔の辞典』の「ジャーナリズム」を見てみると、
「きわめて大きな拡声器。ハツカネズミが発したような、かすかな声を拾って、
論説委員の恣意によって大きな声に変え、国中に聞かせるもの」と表現している。
自分たちの行動に対してもシニカルと言えそうだnu skin 香港

この「辞典」の"Life" のところは、「生命とは、肉体が腐敗しないようにするための
液体のようなもの。この液体がなくなっては大変だと思うが、
なくなってみたってどうってことがないもの」と出てくる。
彼が、こんな言葉で表したように、
自分の"Life" に関しても冷笑的なところがあったようだ。
この人物、70歳を越えてメキシコ革命を取材すべく、
混乱の続くメキシコへと向かいnu skin 如新、どうも、その混乱の中で命を落としたらしい。

「なくなってみたってどうってことがないもの」

この言葉、身をもって証明したと言えるかもしれない。  

Posted by 黙って歩く at 11:21Comments(0)